CIPとは ファッション業界に携わり続けることで培った、Gravity独自のネットワークを強みとしたインフルエンサーサービス。Dear Andy.では、さまざまな分野で活躍する若手インフルエンサーに同年代の若手編集・ライターがインタビューをし、活動の仕組みや影響を与えているものなどをコスモならではの感度やセンスで紐解いていきます。 |
シンプルな芸能だからこその落語の面白さ。
ーー枝之進さんが落語を好きになったきっかけは何でしょうか。
枝之進 |
落語を初めて聞いたのは5歳のときです。僕は家の中でいつも正座をしていたり、好きな食べ物がお漬物や梅干しだったりと、まるでおじいちゃんみたいな子供でした。そんな幼少期だったので、「落語も好きなんじゃないか」と両親が落語会に連れて行ってくれたのが落語との出会いです。垂れ幕が上がり舞台が始まると知らないおじさんが1人で様々な登場人物を演じ、それを見ている観客が大笑いしていて「なんだこれは」と衝撃を受けました。 先入観から難しく捉えている人も多いと思いますが、僕は何の予備知識もなく見たので、自分が持って生まれた想像力だけで純粋に楽しめました。落語は視覚的な情報が少なく、1人で全て演じるシンプルな芸能です。少ない情報の中から想像する面白さは今でも落語の好きなところで、300年前の人々と同じお笑いの感覚を持っていることは時代を超えて繋がっている感覚がありますし、そこに不変的な面白さを感じます。 |
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ーー趣味として落語を見る側から、実際に落語をやってみたいと思うようになったのはなぜでしょうか。
枝之進 |
初めて見て衝撃を受けて自分にとって気になる存在になり、TVやラジオで落語に触れられていると、なんとなく意識して見るようになりました。そんなときに図書館で見つけた落語の速記本を読むようになり、自分もやってみたいと思うように。最初は友達の前で披露するだけだったのですが、それがウケてクラスのお楽しみ会や親戚の集まりなど、だんだん人前で落語をする機会が増えたのです。両親の勧めで参加したちびっ子落語の大会では、同世代で落語をやっている仲間と出会い、落語を接点に世界が広がる感覚を覚えました。中学校に入ってから年間150ステージほど回り、海外でも公演をしたりして、「このままの勢いで落語を続けたら楽しそうだ」と、中学校3年生のときには弟子入りを志願しました。初めて友達の前で披露したときから、披露する世界を少しずつ広げながら、シームレスに落語家になった感じですね。 |
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自分の成長にスパンを設ける。
枝之進 |
中卒で社会人経験がないまま落語家になったので、修業を始めた最初の1年目は御作法も分からず、毎日ついていくのに必死でした。2年目からは、弟子としての仕事だけでなく、寄席小屋での若手仕事も始まって、毎日落語でスケジュールが詰まっている状態。稽古自体のハードルも上がり、毎日疲れ果てて帰って寝るだけの生活の中で、1年目から続けていて出来ていないことがあると、師匠に「まだ出来てへんのか」と言われてしまって。その1年間は辛かったです。 |
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ーーどうやってその辛い時期を乗り越えたのでしょうか。
枝之進 |
「一生落語家でいる」と決断した15歳のときから、長いスパンで物事を考えることを意識しています。落語家は定年もなければ、転職もない世界。自分は一生落語家でいるのだから、2、3年のことで悩むのはやめようと。「10年後に全部できるようになれば良い」と思っていたので、今は辛い時期なのだとどこか俯瞰で考えている自分がいましたね。 |
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自分が一生落語家でいるためには、どうするべきか。
枝之進 |
学生時代は当たり前ですが周りは同世代ばかり。それが落語会に入って、落語家やお客さんなど周りの人が全員年上になったことが、自分の中で引っかかっていたんです。50年後を想像してみたときに、自分が舞台に上がり、”誰と”落語をやって”誰が”見に来てくれるんだろうというイメージが全く出来なくて。一生落語家でいるために先々のことを考えていくと、同世代に落語の魅力を伝えて、アプローチしないといけないと思いました。 |
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枝之進
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まずは落語を知ってもらうために、自分が修業している様子をSNSに投稿していました。それを続けていくうちに、デザインや会社経営など色々なことをやっている同世代とSNS上で繋って、気づいたらコミュニティができていたんです。SNSを通じて落語家以外の同世代と繋がった感じですね。 そんな中コロナ禍となり、スケジュールがいきなり真っ白になって丸1ヶ月ほど何もやることがない状態になりました。時間もできたので同世代に落語を伝えるために何かできないかと色々考えていて、その構想の1つが「5Gを使ったライブ配信での落語会」です。前にリモート落語会を行ったとき、通信環境によるタイムラグでお客さんの笑い声が遅れて聞こえてくるので、いつもの舞台でやっている感覚と全然違って……。タイムラグは落語にとって致命傷。これはどうにかしなければいけないと思ったときに、5Gを使えばラグが短くなるんじゃないかと思いつきました。どうやって実験しようかと考えていたときに共創施設「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)」でプロジェクトを公募していると聞きつけ、応募したのが「Z落語」の始まりです。応募には3人以上のメンバーとチーム名が必要でした。せっかくだったら実験だけでなく動画を撮ってプレスリリースを出そうと思い、SNSを通じて繋がった同世代のフォトグラファーとデザイナーに声をかけました。3人とも「Z世代」と呼ばれる世代だったので「Z落語」というチーム名にしようと、結構勢いでチームが出来上がった感じです。 最初は実証実験のために3ヶ月でプロジェクトを終えるつもりでした。しかし、初めて落語以外の領域の人とチームを組んで、1つの目的に向かってプロジェクトを進めるのが新鮮だったのと、そこに大きな可能性を感じたんです。3ヶ月が終わったタイミングでメンバーに「このまま続けたい」と話して、他のプロジェクトや企画を色々作り出すようになるんですよね。 |
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ーーそこから「Z落語」の活動を続けて、落語とクラブカルチャーをMIXしたイベント「YOSE」が生まれたんですね。
枝之進 |
まず、イベントを企画する前に同世代約70人に落語に対する意識調査を行いました。「今まで落語を聞いたことがありますか」という質問に対し、多くが「ない」と答え、「ある」と答えたほとんどが学校の芸術鑑賞会で見たことがあるだけ。自分の意志で落語を見たことがある人はほとんどいなかったのです。しかし、「次の休みの日に友人や恋人に落語に誘われたらどうしますか」という質問に対してはポジティブな回答が多い結果に。落語が面白くないから受け入れられていないのではなく、落語を見るきっかけがないだけとアンケートから感じました。その結果、落語に触れるファーストステップを作ろうと、若者に親しみのあるクラブカルチャーと古典落語をMIXさせた「YOSE」というイベントが生まれたんですよね。 「YOSE」はリリースしたときから、SNSの反響が大きく2日間のチケットが全て完売しました。それは嬉しかったんですけど、はたして同世代に古典落語が受け入れられるのかが疑問で……。ドキドキしながら舞台に上がったのですが、想像以上にウケて嬉しかったです。そこで改めて落語のポテンシャルや不変的なパワーを再確認し、その日の感動があるから今も「YOSE」のイベントを続けています。 |
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photo by ©︎Z落語
ーー1人で役を演じ切る落語家から、「Z落語」というチームでの活動を始めた枝之進さんが、チームとしての活動の中で心がけていることはありますか。
枝之進 |
みんなで「洒落」という言葉を大事にしています。1つのルールや事柄に固執しない、遊びや余白のある様という意味の言葉です。そういう洒落っ気のあるマインドやカルチャーで活動をしたいみたいなことは常に心がけていますね。 今「Z落語」は、YOSEのイベントや落語に関する企画を続けている以外に、Z世代向けのメディア制作や落語と全く関係のない企業のクリエイティブ制作もしています。そのおかげで、クリエイティブ面でチームのメンバーに仕事をふることもできる。みんなが「Z落語をやっていて良かった」と思える世界線になるよう、ずっと意識しながら、活動を続けています。 |
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ーーご自身や「Z落語」の今後の展望を教えてください。
枝之進 |
僕自身が落語家としてどう成長していくか、チームのメンバーもクリエイターとしてどう成長していくかを考えたときに色々やるべきことはあると思っています。そんな中で、強く意識しているのは海外です。Z世代に落語を届けるという構造は、落語を聞いたことがない人に、どうやって落語を親しんでもらえるかということ。プロジェクト自体は全部枕詞に「Z世代」がなくても耐久性があると考えていて、海外の落語を聞いたことがない人に落語を届けるにはどうしたらいいか模索しています。同時にチームメンバーの成長も考えて、いかに持続可能なギルド型組織を作れるかと案じている最中です。 |
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写真:石渡朋
※コロナウイルス感染拡大防止対策を施したうえでインタビューを行い、撮影時のみマスクを外しております。