コスモ・コミュニケーションズを選んだ理由
新しいブランドの可能性に賭ける、情熱に心打たれた(蓑輪)
蓑輪光浩さん(以下、蓑輪) 〈Allbirds〉が日本への参入を決めた当時は、ブランドもまだまだスタートアップの段階。新しい国に飛び込むには二人三脚で航海をしてくれて、舵を取ってくれる信頼できるパートナーが必要でした。コスモ・コミュニケーションズはまだ認知の浅かったこのブランドの可能性を信じて、情熱的な態度で示してくれた。もちろん提案内容も素晴らしかったのですが、プレゼンの時に出してくれるコーヒーもブランドの信念に共感してオーガニックのものを選んでいたり、ランチの際の店選びにも気を遣っていただいたり、そういった細やかなおもてなしも好印象でしたね。
佐浦有介(以下、佐浦) 〈Allbirds〉は、「主張しないロゴ、スタイルを選ばない普遍的でシンプルなデザイン」「サステナブル」「快適な履き心地」の三つが大きなポイント。サステナブルについては今でこそ日本でもさまざまなメディアで謳われるようになりましたが、当時はそこまでキーワード自体の認知もありませんでした。だからこそ、他のブランドとの差異化を考えた時に〈Allbirds〉のサステナブルな取り組みは大きな強みだった。将来的に業界をリードする存在になっていくんじゃないかと思ったんです。
蓑輪 サステナブルというキーワードは当時ファッション業界ではまだ可能性が見えていない部分がありましたが、ビジネス面ではかなり注目を集めていたんです。今後はその価値観が当たり前になっていくだろうなとは思っていました。あとは小売が仲介せず、メーカー、ブランドがユーザーに直接販売する「D2C」のビジネスモデルがちょうど注目され始めた頃で、ビジネス面からも〈Allbirds〉を取り上げてもらう機会が多かったですね。
佐浦 日本に上陸する前の国内の販売網がない頃は、アメリカのシリコンバ レーやウォール街に出張に来た日本人が、現地で注目されている〈Allbirds〉の靴を、お土産として買って帰る人が多かったんですよね。だから、流行などにもしっかりアンテナを張って、なおかつインターナショナルなマインドセットを持つ人を主な購入層に設定していました。<Allbirds>ではターゲットコンシューマーのことを考えるときに基準となる「チャーリー」と名付けたペルソナがいます。アメリカ、中国、日本とさまざまな国のチャーリーがいるわけだけど、日本のチャーリー像を探すのには時間がかかりましたね。
蓑輪 そうですね。具体的に言うと、「20〜30代で、人生をエンジョイしてて、常にアンテナを張っていて、かつ社会課題に対して意識も高い」と言うのがチャーリーの要素です。家族思いで、周りへの意識もちゃんと向けられるような方達ですね。
日本にローカライズした独自のPR戦略
サステナブルな展開が必ず注目を集めると信じていました(佐浦)
佐浦 PRの具体的な施策は、一緒に試行錯誤しながら進めていきました。商材のメインが靴なので、純粋なファッションブランドとは見せ方も異なる。媒体に取り上げられるときにサステナブルをアピールしたくてもキャプション内でサラッと触れられるだけのこともありましたが、可能性を信じてアピールし続けることで、徐々にマーケットの方が盛り上がって来てサステナブル分野のパイオニアとして扱われるようになりました。
蓑輪 〈Allbirds〉の日本での出店の仕方も、他の国に比べると特殊だったと思います。今までの〈Allbirds〉は、デジタルからスタートしてからリアルなタッチポイントを増やしていく戦略だったのですが、日本に関しては逆で、初めに店舗をオープンして、eコマースへ導入する流れに。そうしたのは代表のジョーイが元々日本が好きで、日本への理解があったからこそでした。日本人が細かい美意識を持っていて、自然と調和しながら生活していることを理解していたんです。実際に見て触って感じて、履いてみて感じる感触を、日本人はすごく大事にしてますからね。
佐浦 あとは日本のカルチャーの発祥地である原宿に店舗を構えることができたのも、すごくよかったと思います。
蓑輪 僕は以前ナイキに勤めていたのですが、スニーカーのリサーチのためにはみんなまず最初に原宿に行っていました。世界的に見ても、ファッションやシューズに携わっている人にとって原宿のバリューはやはり高い。
佐浦 原宿の他に、丸の内にも出店しています。客層が全く違う2箇所で販売しているのにも理由があるんですよね。
蓑輪 日本のサステナブルのムーブメントは世界に比べると遅れていて、賛否両論あるけど欧米の方が早い。アクションを起こしていくには、やはり若い世代と、その上の世代の、企業でも役職を持っているような中間層や、ポリシーメーカーの人たちへの影響も大切です。個人や中小企業などのコミュニティでは割と早くアクションを起こせるけれど、最後の後押しになるのは、法律や政府や自治体や大企業。その両軸が動かないと大きなアクションは生まれません。だからこそ若い世代へ影響力のある原宿と、その上の世代へ影響力のある丸の内の2箇所に出店しました。
ただ注目を集めるだけでなく、ブランドの魅力を正しく伝えるレセプションに(佐浦)
佐浦 オープニングレセプションもこだわりました。著名なインフルエンサーを呼んでバックパネルを置くようなレセプションでは〈Allbirds〉の魅力は伝わらないと考えたんです。ブランドの根幹であるコンセプトなどの情報を正しく伝えるために、きちんとしたプレゼンテーションや記者会見をしたのちに、関係者を招いたオープンスタイルの立食パーティーという形式を取りました。コンテンツも、不要になったダンボールを用いて作品を作るアーティストの島津冬樹さんを招いてワークショップを開きました。
蓑輪 使い込んでボロボロになってしまったけれど、この〈Allbirds〉のロゴが入ったダンボールを使って作った名刺入れもその時に作ったものです。 佐浦 皆さん楽しみながらワークショップに参加してくれて、いわゆるフォトジェニックなインスタスポットとはまた違う、コンセプトとも一貫したキャッチーなコンテンツになったのではないでしょうか。
蓑輪 見て触って実際に確かめるのが重要だとさっきも言いましたが、〈Allbirds〉のサステナブルなストーリー込みでブランドの正しい情報を伝えて、それを理解していただくまでには少し時間がかかると思うんです。レセプションでバックパネルの前で写真を撮って……というだけでは伝わらないというのは僕たちも理解できました。コスモ・コミュニケーションズとはその辺りの認識もすでに共有できていたので、コミュニケーションを取りながらうまく進められました。
ジャパンローカル商品誕生までのストーリー
ファッション領域の専門性が高いコスモから得た情報で、
ジャパンローカルの商品が誕生した。(蓑輪)
佐浦 無事、レセプションを経て正しい周知ができて、取材される機会も増えて良かったです。そのあとには蓑輪さんから「ジャパンローカルのアイテムを何か作りたい」と相談されて、天然藍を提案しました。
蓑輪 2020年の頭ぐらいから動き出しましたね。6月には調査して8月には徳島と京都の工房を回って自分で染めたりサンプル作ってもらったりツアーをしてました。そういうのをコスモ・コミュニケーションズはすごく助けてくれますね。ファッションの領域の専門性を色々な方々が教えてくれるので、信頼できるパートナーです。
佐浦 やはりサンフランシスコのイメージが強く、日本オリジナルの発信が少なかった〈Allbirds〉で、タイミングも内容も良いコンテンツになって良かったです。 蓑輪 日本に上陸して2年、準備の期間も含めてコスモ・コミュニケーションズと組めてすごくよかったと思っています。満点なんじゃないかな。新型コロナウイルスの影響もあったし、もちろん自分たちが思うようにいかなかったところもたくさんあるけれど、その中で、カスタマーからの評価もいただけている。この2年間でやってきたことは何一つ無駄じゃなかったなと感じています。
佐浦 2022年で日本での展開は3年目になります。改めて、今後の目標を聞かせてください。
蓑輪 さらに多くの人に〈Allbirds〉を知っていただいて、ファンになっていただきたいですね。社会的意義としては、我々はビジネスの力で気候変動を逆転したいと考えています。社長のジョーイが「孫の世代に誇れる地球にしよう」とよく言っているんです。自分の孫に「あなたの代で、何してくれたんだ」と言われたくないよね。だから〈Allbirds〉にはもっとソーシャルに、ムーブメントを作っていく使命があると僕は思っています。
佐浦 今は業界関係なく、どの企業もサステナブルにどう取り組んでいくか考えるようになりました。繰り返しになりますが、〈Allbirds〉はそのパイオニアでもある。僕ら広告代理店の立場でも、企業側から相談を受けることがある。そういったときに、〈Allbirds〉との仕事の経験で得た知識が役に立っています。〈Allbirds〉は地球環境に配慮した特別な素材を使っているけれど、それをオープンソースにしている姿勢も素晴らしいですよね。
蓑輪 コスモ・コミュニケーションズを通して、他の業界にところにまでインフルエンスできているならばすごく嬉しいことですね。〈Allbirds〉が目指す未来にとってもプラスに働いていると思います。僕としても、2年前の自分と比べても知識量が全然違うし、コスモ・コミュニケーションズと新しいことに取り組めている感覚がすごく楽しいです。僕が〈Allbirds〉を初めて履いた時、その当時はブランド創業3年目だったと記憶していますが、履き心地の良さに驚きました。3年目でこれが作れるならば、10年も経つ頃にはもっとすごいものができるに違いないと可能性を感じたんです。これからもコスモ・コミュニケーションズと一緒に、その成長を見届けていきたいです。
写真:猪原悠
※コロナウイルス感染拡大防止対策を施したうえでインタビューを行い、撮影時のみマスクを外しております。