FEATURE 2023.02.10

写真と鑑賞者を繋げる、“展示空間を構成する”という影の立役者。 ―空間デザイナー・村山圭さん

美術館やギャラリーなどで開催される写真や美術の展覧会。いつの間にか没入するあの空間が出来上がるまでの舞台裏には、“会場構成”という分野を担う空間デザインのプロフェッショナルがいる。篠山紀信さんや蜷川実花さん、瀧本幹也さんなど、日本を代表する写真家たちの信頼を集める村山圭さんもその1人だ。作品と鑑賞者を繋ぐためのブリッジをどう仕掛けているのか、村山さんにお話を伺った。

 ありとあらゆる場所を、作品と鑑賞者の最適な出合いの場に。

ーー“展覧会の会場構成”とは、どんなお仕事なのでしょうか。

村山

 僕は、写真などの展示物の要素を空間に翻訳する仕事だと思っています。デジタルデータで写真を目にすることが増えた最近では、写真は“質量がないもの”だと思われている節があると思うんです。だからこそ、そのデータをアウトプットする素材の自由度も高まっているとも言える。撮影した作品を何の素材にどんなスケールでアウトプットするのか、またそれらを会場に対してどう並べるのか。来場者の導線を考えながら空間を隔ててセクションを作り、作品を選定しながら構成を考えていく。そうやって写真が空間に表出するときの補助線を引くのが、会場構成を担当する僕の役割です。関わり方は流動的で、プロジェクトごとに異なります。例えば、作家から直接依頼される場合もあれば、展覧会の開催側(主催者もしくは実行委員会)から依頼される場合もある。プロジェクトに声をかけていただく時期もそれぞれですね。

村山

 例えば篠山紀信さんの「篠山紀信写真展 写真力」の場合は、開催の1年以上前からご相談をいただき、当初全国5カ所を巡回する展覧会を組み立てていきました。篠山さんのオーダーのうちの一つに、「大きな写真を展示したい」というものがあったので、検証を重ねて適切な大きさを探り提案しました。結果、写真を大きく引き伸ばし、幅8メートルを超える巨大作品を展示。「ダイナミックで迫力ある展示空間で作品を堪能できる」と各メディアで評される展覧会となり、結果的に7年間にわたり全国30ヶ所以上の美術館で開催されました。

 2022年10月1日〜30日に開催された「T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO 2022」の特別展「森山大道《TOKYO NIGHT CRUISE》」の場合は、展覧会のプロデューサーからオファーをいただいたのは2022年8月。「TOKYO NIGHT CRUISE」というタイトルと、会場が「東京ミッドタウン八重洲 B1F」であることだけ決定していましたが、新設の会場のB1F先行開業が展覧会の半月前だったため、写真数枚と図面から展示空間を考えるほかありませんでした。タイトルから「仮想のツアーが開催される出発地点」というアイディアを構想し、バス停のオブジェを設置。美術館やギャラリーでの展覧会と違って、バスターミナルに隣接されるエリアで行われる今回の展示は空間が切り替わるポイントがないので、映像作品に没入してもらうためその場を展示空間へと切り替える造作として考えついたのが、“バス停”でした。提案までに徹底的にリサーチをしましたね。バス停とひとことで言ってもその姿・形は実は多種多様。歴史を調べ、街に出ては様々なバス停の写真を撮って回りました。

「T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO 2022」の特別展「森山大道《TOKYO NIGHT CRUISE》」

ーー村山さんはどういった経緯で、会場構成に携わるようになったのでしょうか。

村山

 会場構成という役割があることを知ったのは、建築を専攻していた大学時代。ゲスト講師として授業をしていたライゾマティクス代表(現 パノラマティクス主宰)の齋藤精一さんと出会い、夏休みに仕事を手伝わせていただくことに。その時ライゾマティクスが会場構成を担当していた案件を通して、その役割を知ったんです。その後、当時は苦手に感じていた「空間において規模や距離を掴むこと」を克服するためにも経験を積もうと、インストーラー(展示設営技術者)のお手伝いを始めました。そうして学生時代に色々なところでお手伝いをしているうちに、「村山くん、図面描けるよね」と声がかかり会場構成としての図面を作成するようになって、26歳で大学院を卒業してそのままフリーで仕事を続けることにしたんです。

—— 会場構成を考える際には何を重要視していますか。

村山

 作家が本当にやりたいことをいかにして実現するか、でしょうか。展示空間において一番重要なのは、作家の作品。空間を設計する人の気配はノイズにしかならないので、あくまで自分は裏方です。作家の求めていることを理解するために、ヒアリングを大切にしています。調べればわかりそうなことは前もって勉強した上で作家と会話を重ね、共通言語を探っていくんです。そうやって共通言語を増やしていって目指している方向性のズレを減らした方が、その後の構成要素もスムーズになると経験から学びました。自分自身の視野を広げるためには、専門性の異なる人々との交流も重要ですね。

 

ロスだった天然素材を昇華させるプロジェクトを展示空間を構成することに生かす。

――展示を構成することのほかに、私的なプロジェクトもやっていらっしゃるそうですが。

村山 

 山際悠輔、吉田竜二と共に、素材を研究するユニット〈Hyle(ヒュレー)〉として活動しています。札幌の「森彦コーヒー」というコーヒーショップが東京でポップアップを開催する際の空間作りを依頼されて、僕たちがコーヒーを素材や染料として什器や装飾に使う提案をしたのが始まりでした。提案のために布や紙だけに留まらず、木など様々な素材に天然染めを施すスタディを重ねました。染めつけた際の色味の変化や香りによってエイジングのような別の解釈が生まれることを期待したんです。おかげさまでそのポップアップの空間も好評で、そのとき習得した天然染めの能力は今後の空間作りにも生かせると思い、その後もワイン染めで壁を作るなど発展させていったんです。染めのプロフェッショナルを目指す、というよりも、僕らは「日常にある素材が、違う領域へと広がっていくことで別の役割が生まれる」という点に注目して実験を続けていきたいと思っています。商品にならなくなってしまったコーヒーやワインが染料に生まれ変わり、ロスだったものに別の価値が生まれる過程は興味深いです。

Exploring materiality of coffee

Hyleが手がけた谷中の「カヤバ珈琲」の暖簾とカーテン

House of Hyle

――村山さん自身も、あらゆる事象の展示空間を構成するお仕事に生かしていらっしゃるのですね。

村山

 そうかもしれませんね。自分が担当していない展示を見るのも、大きな学びを得られます。人の展示を見て、「自分だったらどうするか」という仮説を立てて見るんです。日々、学びですね。展示はだいたい期間限定で、短命です。長い歴史の中で形として残るものではないけれど、その時間軸で何を残せるかを考えています。最初は建築を勉強していて、今は展示構成に携わっている。物事のスケールを柔軟に考えて、空間作りを続けていきたいですね。

ーー「(この仕事を)やり続けて良かった」を感じるのはどんなときですか。
村山

 お客さんが見にきて、どういう表情をしているかを見ていますね。楽しそうにしているところを見るのが一番嬉しいです。印象的だったのは、70代の女性が「生まれて初めて美術館に来ました」という状況に遭遇したときのこと。自分の仕事が、人が日常とは違う体験をする機会に繋がっているのだと思うと嬉しかったです。

写真:鈴木慎平

※コロナウイルス感染拡大防止対策を施したうえでインタビューを行い、撮影時のみマスクを外しております。