CIPとは ファッション業界に携わり続けることで培った、Gravity独自のネットワークを強みとしたインフルエンサーサービス。Dear Andy.では、さまざまな分野で活躍する若手インフルエンサーに同年代の若手編集・ライターがインタビューをし、活動の仕組みや影響を与えているものなどをコスモならではの感度やセンスで紐解いていきます。 |

「自分にしかできないこと」に気づき、モデルの道へ。
ーー高校を卒業して上京するまで山梨県甲府市で育った高瀬さんですが、いつからモデルのお仕事を始めたのでしょうか。
高瀬 |
高校卒業後は一般企業に就職しようと思っていたんです。転機となったのは就職セミナーのためにバスで東京に通っていたとき。何度か街中でスカウトされたのをきっかけにサロンモデルを始め、その写真をインスタグラムに投稿していました。そうしたら高校3年生の4月に今の事務所の方が声をかけてくださり、モデルの道に進むことになったんです。 |
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ーースカウトがきっかけとなり、それまでの就職活動から急遽モデルへと方向転換したんですね。
高瀬 |
就職活動中は自分の意志でというよりも高校の先生からのアドバイスで就職先を選んでいました。進路については色々な人に相談したり悩んでいましたが、スカウトされたときに「もしかしたら自分にしかできないことってあるのかも」と期待が生まれました。自分自身が求められている気がしたのが嬉しくて、モデルをやってみたいと思いました。 それまでポージングなどのレッスンを受けてきていなかったので、モデルを始めたてのころは表現の仕方が全く分からず、大きな課題でした。雑誌やSNSを真似しながら自分の中の引き出しを開けるのに必死な日々。表現には正解がないので「これで良いのかな」と1年くらいは常に不安でしたね。 その頃は、1人で考える時間が多かったです。毎日、1日の仕事の良い点と悪い点を挙げ次の仕事に生かせるようにしていました。そうやって気持ちを作って全力で撮影に向かうのを繰り返していたら、いつしか自分に自信が持てるように。だから後悔を残さないようにいつでもストイックに仕事へ取り組むことを、今も意識して続けています。 |
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離れたからこそ分かった山梨の温かさ。
ーー高校卒業後に初めて山梨から上京してきてどう感じましたか。
高瀬 |
山梨にいた頃は東京は怖い街だと思っていたんです(笑)。しかし、実際住んでみると意外とみんな優しいことに驚きました。最初に1人暮らしをした家の大家さんがすごく親切で「何かあったら相談してね」と仕事場以外に安心できる人がいたのがありがたかったですね。 やっぱり東京は便利で変化が早い街だと思います。行きたい場所にいつでも行けるし何でもあるので、吸収することが多くて毎日が新鮮。新しい情報の連続で日々勉強です。 |
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ーー実際に住んでみて東京の印象が変わったのですね。上京後に気づいた山梨の魅力はありますか。
高瀬 |
地元に帰ると、たくさんの人が「おかえり」と言ってくれます。東京から友達を連れて行ったときも家族みたいに接してくれました。その温かさは山梨にいた頃には分からなかったですね。 みんな自分の地元のことを卑下しがちだと思います。「うちなんか何もない」とマイナスなことを言う人は多いけれど、その場所で育ってきたから今の自分がいる。そこをちゃんと大事にしたいと、東京に出てきて感じるようになりました。 |
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ーー離れたからこそ分かる山梨の魅力があったんですね。地方創生の活動に興味を持ったきっかけは何ですか。
高瀬 |
東京はイベントが多く、地域と比べて新しい感覚と出会う機会がたくさんあります。そうした機会が自分にとってすごく楽しかったので、山梨でも何かできないかと考えたのがきっかけです。家族や友達にもその楽しさを味わって欲しいなと思いました。 地元の友達と話していると「何か楽しいことをしたい」というエネルギーはあるんですけどそれを発揮する場所や機会がない、どこかで何か開催されていても気が付かないことが多いです。私は東京にいるからこそ、東京で起きていることから色々な影響を受けられるので、それを山梨に繋げられる存在でいたい。例えばお店やイベントなど若い人が魅力に思える場所を発信することで山梨の楽しさを知って欲しいですね。そうした発信力は東京で培ったものだと思います。 |
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ーー高瀬さんは母校の高校生と一緒にアイディアを出し合いながら山梨県の魅力を取り入れ、環境に配慮した商品開発に取り組んでいます。
高瀬 |
取り組みは、SDGsに関連したものづくりのお仕事をいただいたのをきっかけに始まりました。実は最初、仕事の課題として「山梨」というワードは全くなかったんです。環境に良いものづくりについて考えたときに思い出したのが、高校時代に受けた甲府市のものづくりに対するマーケティングについての授業でした。学生時代の授業でアイディアは出すけれど、それが実現されることはほとんどない。このタイミングで高校生と一緒に取り組めばそのアイディアも活かされるのではないかと思い、母校の先生に声をかけたんです。 山梨には地元の素材や生産者の思いを大切にしてものづくりや飲食店をしている人が多いと思います。私自身、上京してきてから地元と向き合う機会が多くなり山梨の面白さに初めて気づいたのでそれも活かしたいと思いました。 |
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高瀬
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山梨にキャンプをしに行く人が多いことから、アウトドアアイテムを一緒に作っています。あとはワインの産地としても、山梨は国内生産・出荷量トップ。ワイン生産の過程でぶどうの皮や種のフードロスがすごく多いので、それをピクニックシートの染料にしました。他にも3年ほど土に埋めると土に還る完全生分解性のタンブラーや、誰にでも手に取ってもらいやすいアパレルグッズなどを考えている最中です。
SDGsに関するものづくりの活動を始めてから、何事も本質に目を向けるようになりました。世の中でエコや地方創生と言われていることは本当に正しいのか、誰かのためになっているのか常に考えていますね。自己満足で終わらず、意味があるものづくりや発信にしたいので責任感を持って取り組んでいます。 |
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地方創生を通じて全ての世代を繋ぐ。
高瀬 |
世代間を繋ぐのが難しいです。若い人だけで盛り上がっても次の機会には繋がらないし、自己満足で終わらないためにも年配の方や家族で面白みを感じてもらう必要がある。そのために様々な世代との意見交換は大切にしていますね。 「山梨がどうしたら面白くなるか」と聞いたとき、若い人からは「遊べる場所がもっと欲しい」といった意見が多かったです。一方、年配の方は「若い農家がいないこと」や「山梨の産業が廃れていること」を心配している人が多く世代間での認識の違いを感じます。最近は甲府大使になったので、市役所の方にも意見を伺ったり、様々な目線で吸収することで全部が交わる何かを見つけたいですね。
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ーー幅広い世代や層の意見を聞くことで、全ての人を繋げる役目を担っているのですね。活動を通して、山梨県にどのような影響を与えたいですか。
高瀬 |
例えばイベントやものづくりなど「山梨にこんなものがあるんだ」という発見を与えたいです。自分も新しい仕事や環境で毎日違う刺激を受けてヘルシーでいられると感じているので、世代を超えて新しい体験ができる機会を作るのを目標としています。 今までは東京でしか活動していなかったので、今は私がモデルをしながら地方創生に興味があるということをとにかく少しでも多くの人に知ってもらうための段階。SNSやYouTubeで地方創生に繋がるような場所やお店を発信して知名度を上げ、最終的には県外から移住する人を増やしたいと思っています。今は都市から地方に引っ越す人が多いので、山梨がその選択肢になると良いですよね。 |
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高瀬 |
インスタグラムで「山梨に行きたいです」とDMをもらったり、実際に紹介したお店に東京からわざわざ行ってくださったり……。そのときに「山梨って東京から意外と近いんだね」や「山梨って東京の隣だったんだ」といった反応をもらうことが多いです。東京からサクッと行って楽しめる感覚を知ってもらえたのは嬉しいですし、やりがいを感じますね。 |
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自分は人のアイディアを形にする表現者。
ーー東京でのモデルのお仕事と山梨の地方創生活動を両立する中で、自分自身に何か発見はありましたか。
高瀬 |
学生の意見を自分がまとめて形にし、違う世代に繋ぐのがすごく楽しいです。それはモデルの仕事にも繋がっていると思います。私はクライアントやカメラマンなど現場にいる人のアイディアを表現する役目。今までは現場に行って撮影することに受動的でしたが、今は現場にいるスタッフの一員としてアイディアをどうしたら表現できるのか一緒に意識しながら仕事しています。誰かの意見をまとめた表現や発信など、ある種クリエイティブなことが好きだと気がつきましたね。
モデルのお仕事は現場の人の意見を受け取って表現することなので、自分が地方創生について発信しすぎて印象が主体的になってしまうのを懸念している部分もあります。しかし、東京にいるモデルが地方創生に取り組むイメージはあまり無いと思っているのでその先駆けでいたい。もっとみんなに「自分の地元の魅力をどんどん自慢していいんだよ」と伝えていきたいです。 |
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写真:倉島水生
※コロナウイルス感染拡大防止対策を施したうえでインタビューを行い、撮影時のみマスクを外しております。